2009年10月05日

気ままな旅・・・足尾

 栃木県の足尾によく通いました。

 足尾銅山、足尾鉱毒事件で社会的な問題を提起し
公害事件としての歴史に深くその名をとどめています。

 足尾のことを知ったのは高校生の頃、社会科の授業
でした。

 半年ばかり毎週土・日と足尾に入りました。

 まだ足尾銅山のある工場からは煙が立っています。

 足尾事件では田中正造が公害問題に取組んだことは
今だ新しい出来事です。

 足尾に入ると山肌は黄色に染まった土砂が丸出しです・

 植林もつづけられていますが、工場の裏手に聳える備前
楯山の山頂から見渡しますと、砂漠にいるような錯覚にと
らわれます。

 足尾の町を再生しようと町の人々や足尾を思う人々によ
って、植林は観光事業がすすめられています。

 動物は猿や鹿が増え、カモシカが追いやられていますが、
以前よりは足尾の町が生き返っているようです。

 今も足尾に足が向きます。

 戦前中国の人たちが強制労働させられて送られてきまし
た。

 ここでなくなった人たちのお墓もありますが、土に埋もれ
たり、風化してしまっています。

 旅は良いことばかりを経験しませんね。

 足尾は暗い町でした。深く思いつめたような空気が漂っ
ていました。

 これも少しずつ明るくなっています。

 知人で焼き物を続けている人もいます。

 足尾の町が好きで戻ってきたそうです。

 かれの陶芸品を見ていると足尾の新しい息吹を感じます。

 宇都宮のギョウザがおいしいといわれ、食べに行く途中で
ハンドルを足尾にきってしまいました。

 日光、戦場ヶ原の南西方向に足尾の町があります。

 足尾に入った日は知り合いの宿に泊まりました。

 露天風呂がありますが、自分で露天風呂を洗い湯をいれる
のです。

 人ずかいの荒い宿ですが、ココロ温まるもてなしを受けます。

 旅はいろいろあって楽しいですね。
  

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2008年12月30日

箱根の旅

 沖縄からでは遠い町です。

 箱根の山は天下の険の箱根の旅でした。

 晴天の中、芦ノ湖からの富士山は絶景でした。

 帆船スタイルの海賊船に乗り芦ノ湖遊覧の旅も楽しめました。

 お正月の箱根大学駅伝に母校が出場しますので、応援OBの

 宿に差し入れのお酒を置いてきたのです。

 応援とは名ばかりの、駅伝にカマかけてのOBの飲み会なのです。

 しっかりと応援を毎年続けています。

 カっては連続優勝もしましたが最近は参加だけのようですが、後輩

 たちのひたむきな走りと粘り、がんばりに沢山教えられます。

 まもなく新年、まもなく箱根駅伝がスタートします。

 走る選手、走らない控え選手も応援の人たちもみんな燃えています。

 ゴールとなる芦ノ湖箱根湖町港前の広場は準備中です。

 箱根もこの駅伝から新しい年が幕開きです。

 どんなドラマが待ち構えているか、ゾクゾクするような楽しみです。  

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2008年11月14日

沖縄の旅は遠い

 九州育ちでありながら沖縄だけには行っていない。

 沖縄に行くことが我が家の終戦になるのだが・・。

 叔父がこの地で特攻でアメリカ軍に向かい戦死し
たと父母から聞かされていた。

 どの地で戦死したのか、認知症になりなくなった父
から詳細を聞くことができなかった。

 叔父は将校だった。義理の姉である母への手紙で
日本の敗戦をつづっていた。若い部下を死なせること
ができない。

 沖縄の人たちが砲弾に命を奪われていく現実を見つ
めながらココロの痛みが涙になり、沖縄の人々を救え
ない無力な自分が辛いと・・・。

 無謀であっても身をもって沖縄を守らなければ、とい
う心情を母に伝えていた。

 戦後、叔父の家族の所在が不明だった。

 大阪を探し続けて昭和62年に叔父の長男と会うこと
ができた。

 従兄は沖縄に渡ったという。

 沖縄のどの地だったのか。

 一度は沖縄に行かなければと・・・。

   

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2008年11月09日

長野・・・・小海線

 中央本線・小淵沢から信越本線・小諸をつなぐ
小海線がある。

 高原の中を走る単線だ。

 小諸に向かう西側には信州・八ヶ岳の峰々が南
北に連なる。

 信州の原宿といわれる清里、若い男女で賑わう。

 JR線では全国一標高の高い野辺山駅、

 東は奥秩父国定公園と霊山・金峰山と東アルプス
の山々。

 自然豊な高原の中を千曲川に沿って走る小海線
は旅ココロを飽きさせない。

 長野新幹線がないころは東京・長野・群馬・埼玉
と周遊の鉄道の旅が楽しめた。

 今は群馬・松井田と長野・軽井沢間が廃止となり
その楽しみもなくなってしまった。

 九州育ちなのに信州が好きになったキッカケは、
島崎藤村の小説「破戒」だった。

 部落という言葉、人種差別と偏見に強烈なショック
を覚えた。

 本家の祖父が知り合いの人が玄関から入ろうとす
ると「裏へまわれ」と怒鳴った記憶がある。

 差別だった。

 破戒を読んでココロが痛んだ。

 住井スエさんの「橋のない川」をむさぼり読んだ青春
時代もあった。

 信州の旅はココロの安らぎを求める私の終わりのな
い旅になっている。

   

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2008年11月06日

小諸城址・・・中棚温泉・中棚荘

 ”8月のはじめ、私はこの谷の一つを横切って、
 中棚の方へ出掛けた。私の足はよく其方へ向
 いた。そこには鉱泉があるばかりでなく、家から
 歩いて行くには丁度頃合の距離にあったから”

 というくだりのある千曲川のスケッチ その四
「中棚」の一節にあります中棚温泉・中棚荘。

長野・小諸と中棚温泉通いが今もつづいていま
す。

 小諸は今林檎の収穫の真っ最中です。

 家族での林檎狩りをします。帰りは中棚温泉・
 中棚荘に立ち寄ります。

 千曲川の流れを見ながらの林檎風呂は楽
しめます。

 中棚荘は小諸城址の南にあります。

 島崎藤村が寄寓した水明楼は宿の向かい
に今もあります。

 千曲川のスケッチを執筆したときの水明楼
は中棚荘から小諸市に移譲されました。

 白血病で亡くなったA子さんから教えていた
だいたこの中棚荘の湯は柔らかくて体が芯ま
で温かくなります。

 小さな出会いが縁となり辛い別れになりまし
たが、小諸の町はココロを癒してくれます。

   

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2008年10月30日

小諸城址・・・懐古園

     小諸なる古城のほとり
     雲白く遊子悲しむ
     緑なすハコべは萌えず
     若草もシくによしなし
     しろがねの衾の岡辺
     日に溶けて淡雪流れる

     ・・・・・・・

    暮れ行けば浅間も見えず
    歌哀し佐久の草笛
    千曲川いざよう波の
    岸辺近き宿にのぼりつ
    濁り酒濁れる飲みて
    草枕しばし慰む

 島崎藤村の落梅集に納められた「千曲川旅情の歌」
の一節です。

  高校生のころ国語の教科書に載っていました。
  先生から暗記させられたものです。

 上京して伊豆の石廊崎灯台への旅の後、上野から上
信越線に乗って小諸に行きました。

 駅から歩いてすぐ小諸城址に向かい、展望台から千曲
川を眺めながら口ずさみました。

 小諸城址懐古園には藤村記念館があります。

 口ずさんでいますと後ろで唱和する声に振り向きました。

 とても素敵な女性でした。

 同じような年代でした。藤村の話で盛り上がりました。

 藤村が千曲川のスケッチを執筆したときの庵と常宿が今
でもあると教えてくれました。

 両親がリンゴ園を営んでいるというjことで案内してくれま
した。

 5月のはじめでしたね。

 りんごの白い花の真っ盛りでした。

 りんごの木の下にたたずんだその人を見ていると、

      まだあげ初めし前髪の
      林檎のもとに見えしとき
      前にさしたる花櫛の
      花ある君と思ひけり

      やさしく白き手をのべて
      林檎をわれにあたへしは
      薄紅の秋の実に
      人こひ初めしはじめなり

 藤村の若菜集「初恋」が脳裏を駆け巡りました。

 色白で髪の長い、笑顔の素敵な人でした。

 半年、小諸通いがつづきました。

 小諸へ行きますとリンゴ園の木の下で語り合いました。

 それからまもなく素敵な人が他界した知らせを受けました。

 白血病でした。そのとき、その病のことなど知りません。

 小諸には今でも行きます。

 教えてくれた藤村ゆかりの宿には何度も足を運びました。

 小諸はとてもよい町です。

 懐古園、桜がきれいです。動物園、遊園地もあります。

 展望台から眺める千曲川は悠然と流れています。

沖縄物産、沖縄食材専門店 てぃーだショップ!

   

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2008年10月20日

海は故郷につながっている

 若いころ、仕事で行き詰まったり、失敗したり、寂しくなったりすると、

 湘南方面へ向かった。

 逗子の浜、三浦岬、江ノ島など彷徨。

 塩の香り、打ち寄せる波の音を聞きながら一日を過ごすことも・・・。

 故郷は九州、いつか戻ろうと思いながら、戻るときを見失い、気が

 つけば、室生犀星の詩のように「ふるさとは遠きにありて思うもの」

 のごとき人生。

 旅はココロを癒してくれる。

 その思いにすがりながらの灯台めぐりもあった。

 早朝の漁港に足を運び、気がつけばセリ落とした人の荷運びを手伝

 っていた。

 海に行けば、そこには故郷につながっている。

 小さな旅の中にいろいろな人との交流があった。

 一期一会という言葉そのままでの出会いだった。

 でも、出会った人たちとの話は楽しく忘れることがない。

 もう一度出会いの旅に出ようとも思う。

 深く年を重ねているのに、少年の頃の夢がフツフツと沸

 き起こってくる。

 さぁーて、日本海の海鳴りを聞きに旅立つかな。

  

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2008年10月07日

草千里

 ”われかってこの国を旅せしことあり
  あけがたのこの山上に われかって立ちしことあり
  肥の国の大阿蘇の山
  裾野には青草しげり
  尾上には煙なびかう 山の姿は
  そのかみの日にもかわらず
  環なす外輪山(そとがきやま)は・・・・”
 
詩人三好達治の「草千里浜」の一節です。

 高校時代、貧しかった家では夜、今で言うアルバイト
に毎日行っていました。

 友人と語らい遊ぶことよりも働いてお金を稼ぐことしか
頭にありませんでした。

 親を恨むよりも自分の環境を何とか変えないと、心は
横へそれていきそうでした。

 そのときに、この詩に触れたのです。

 多感な時代でした。阿蘇の草千里へ行ってみたい、
阿蘇山を登りたいという気になりました。

 そのために土曜日は徹夜の仕事で稼ぎました。

 ザックにシュラフを詰め込み、小倉から熊本へと夜汽車
に乗りこみました。

 熊本から阿蘇までバスでした。

 草千里で下り、広大にひろがるグリーンの平野に心が
揺れて涙ぐんだものです。

 大きな声で草千里を歌いました。つかれなんどどこかへ
いってしまい、夢が沸き起こりました。

 そうだ、苦しくてもがんばって高校を卒業しよう、それから
自分の人生に向かって歩こうということでした。

 阿蘇に登り、草千里に戻って一夜を明かしました。秋の中
ほどでしたが、寒さなんて気持ちの高ぶりで消えていました。

 翌日、歩いて大分へ横断することになりました。

 途中でトラックに拾われました。別府方面に行く車でした。

 運転手のおじさんにいろいろと聞かれました。

 俺にも君と同じ息子がいるとのことでした。

 親切でしたね。とても心の温かな人でした。

 若い人は自分の夢に向かって突っ走れと・・・。

 別府の駅まで送ってくれ、駅弁を持たせてくれました。

 旅先の小さな親切は一生忘れることはありません。

 心の中で生きています。

 今でも故郷の北九州に帰りますと草千里に行きます。

 草千里は一人歩きを決意させてくれた思いの深い場所
でもあります。

 ”今日もかも
  思出の藍にかげろう
  うつつなき眺めなるかな
  しかはあれ
  若き日のわれの希望(のぞみ)と・・・・・”

 機会がありましたら阿蘇山をお訪ねください。草千里は
広大な夢を見させてもくれます。

   

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2008年10月06日

石廊崎

 高校の国語の教科書に徳富蘆花の石廊崎
の自然美の描写の記述を読んだ。

 石廊崎の灯台から太平洋の水平線に浮かび
あがる太陽と海面のしずかに燃えるような、神
々までの美の競演だった。

 何度も読み返した記憶がある。

 いってみたいという感情の高ぶりを覚えている。

 上京して最初の休みをとり東京から伊豆・下田
へ向かった。

 お金もないのにタクシーに乗って・・・・。

 運転手には翌日迎えに来るように頼んで野宿
と決め込んだ。

 天気晴朗で夕日の沈むのに心が躍る。

 その夜はツエルトをはって満天の星空を堪能。

 翌日は日の出を見るために暗いうちから灯台
に向かう。

 快晴だった。

 水平線から太陽が燃えながら昇ってくる。

 足が震え、体も小刻みに揺れる。いつの間にか
手を合わせていた。

 言葉ではいえない。蘆花のように文章にもでき
ない。

 岩壁の上に腰をおろし太平洋の波のうねりを見
つめていた。

 しばらくしてから後ろで声がして振り返ると運転手
が迎えに来ていた。

 自殺志願者かと思って心配してた、という運転手
に気苦労をかけたのを詫び、ことのいきさつを話した。

 下田駅へ向かう途中で小さな食堂え案内された。

 私のおごりだよ。

 焼き魚とワカメの味噌汁。

 体が温まり、おいしかった。ご飯をお替りした。

 また来る機会があったら連絡してください、と名刺
をいただく。

 タクシーの客なのだから、そのまま下田の駅へ送
ればすむのに・・・・。

 小さな旅さきでちょっとした触れ合いが心にしみこ
んだ。

 この親切はいつか別の機会で他の人にできれば
と思いつつ電車の窓から遠くなる下田の町を眺めた。  

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2008年10月05日

旅立ち

 育った故郷に背を向けて、夜汽車に揺られて旅だったのは
遠くなってしまったようだ。

 年老いて故郷へ戻る友とその家族を見送りながら、俺は故
郷へ戻ることがあるだろうか。

 旅がらすのように気ままな人生旅の果てに何を手にしてる
やら・・・・・。

 旅の端々で、人の心の温かさに触れたとき、つい涙ぐんだ
こともあった。

 また、あの人たちに会いたい、会いに行こうと苦労ばかりか
けつづけの妻を誘ってみる。

 笑顔でうなづく妻に、旅心が騒ぎはじめたようだ。

   

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